言いたいことがある

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CAARSとAQを受けた

眠れないのでブログ書く。

前々から自分はADHDの気があるんじゃないか?なくてもグレーゾーンにいる気がする。あとは愛着障害(恐れ・回避型)も持っている気がするという気持ちがあった。仕事でのケアレスミスや,ぼんやりして集中力が続かないことがあったりする。また、人間関係において人との関わりを強く求める反面、人と関わって傷つきたくない人の目を異常に気にしてしまうという性質がどうも生きにくいなあと感じていた。ただ分かりやすくネグレクトや虐待されてたわけでもないしいわゆる毒親にも当てはまらないんじゃない?とは思ってたのでなんでこんなに普通に育ててもらったのに自己肯定感高くないんだ?むしろ自信ないんだ?と疑問だった。

 

ずっとしてみたいなあと思いつつダラダラ時間だけを過ごしてしまいやっと検査をこの前受けて、七夕の今日に診断結果をもらった。結果は重度のADHDだった。ASDの特性は見られなかった。それにプラスして、親からの愛情を受けるべき多感な時期に父親が躁鬱になって母親が苦労したことが要因で心の成長がうまくいかなかったことから抑うつ状態が続き自信がない状態が続いてるのではという結果が出た。

 

カウンセリングでは自分でも気づいてなかったことが分かった。どうやらこの自己肯定感の低さや自信のなさは父親の躁鬱が関係してたらしい。言われるまで気づかなかったけど言われてみれば中学一年生の時はそこまで自己肯定感は低くなく学校生活を楽しんでいたように思う。中2で父が躁鬱になってから、私は今後どうなるんだろうと泣いてお母さんに大丈夫だよと言ってもらった記憶はある。そこからいつもと違う父が怖くなって、お母さんも精神的にも金銭的にも苦労しててそんな中で子どもも3人いるから家事も大変で自分がその立場になったら心の余裕なんか持てねえよ!って感じの環境だったと思う。私も私で嫌だな〜とか辛いな〜みたいな気持ちはあったがあんまり覚えてなかった。だから母も父も責める気持ちはないが、先生からの話で「そうか、当時の私は自分が覚えてないだけで相当心に負担がかかっていたのかもしれない、親の愛情をもっと受けたいと思っていたのかもしれない」と当時の自分をヨシヨシしたくなったし、仕方のないことだったんだ、私が辛いのは誰のせいでもなくてどうしようない環境のせいだった(躁鬱になってしまったのは仕方ないし、母の心に余裕がなくなるのも当たり前のこと)と分かって涙が止まらなかった。まぁこのカウンセリング受けた時期が情緒不安定期だったのもあるんだが。とにかくそこで本来するべき心の成長がうまくいかなかったらしい。ほ〜なるほど。合点がいく。だてに精神科医じゃないと思ったね。(何様)確かに子育てが終わって父親の状態も落ち着いてきた今の母はとても穏やかで楽しそうだ。昔のようにイライラしてる風には見えないし、私が仕事で悩んでいた時わたしに寄り添った言葉をくれた。本来こういう人だったんだなあと社会人になって改めて思った。母は愛情を注いでくれない親だったのではなく、環境が人を変えてしまう。私が母の立場だったらいつもニコニコ穏やかになんてきっとできない。今なら分かる。だが、父親が躁鬱になってなかったら今の私はもっと生きやすかったんだろうか。そんなの言っても意味がないことだけど。

 

ちなみに診断が出た今日はわりと安定期だったので結果にもそこまで衝撃を受けず。なんなら不安定期に受けたが故「自分がADHDの思考寄りで答えてしまったから重度という結果が出たのでは?」という疑念を持った。CAARSはADHDを測るために一般的に使われている検査なのでもちろん疑ってはないが、回答する自分が寄せにいってしまった感が否めない。なぜなら診断した時に何か言われた動作をするとかではなく、質問に対しての四択の解答だったからこんなん寄せにいけば誰でもADHDって診断されるんじゃね?と思ったからだ。分かりやすく動き回ったり感情が抑えきれなかったりミスはするが忘れっぽさはたまにで約束の日をすっぽかすなんてことは今まであまりなかったので、重度と言われると「?」なのだ。ADHDと言えど人によって性格も異なるのでみな同じ症状じゃないということは百も承知だが、重度と出るほど日常での困り感はない。もちろん仕事できねえな〜というのは感じているが怒られたりとかは少ない。(上司が緩いだけ?)こだわりが強かったり自分が気になる部分に関しては考えすぎてしまうという特性があるなというのは感じてはいるが、もっと困り感が出るのは人との距離を上手に縮められない、周りと比べて劣等感を感じてしまうという方が仕事をする上では困り感が強い。ただ、もしかしたらADHDという気質があるからこそ健常者の他人より劣っている気がしているのもあるかもしれない。無関係とは言いにくいのかも。

 

ということで今の現状にどうアプローチをかけるべきか悩む。先生はADHDに関しては投薬治療、自信のなさなどについては対処法はこれといってなく自分が役に立てている実感を得れるようにするというめちゃくちゃ抽象的な言葉をいただいた。私はもちろんADHDの気質も軽くできるならしたいが、それよりも後者の自己肯定感の低さをどうにかしたいと思ってるので、「え?そんな抽象的な感じなの?そこに対して行動認知療法とか、そういうのはしてくれないの?」と思ってしまった。とりあえず薬はもらって帰ったが。重度のADHDという診断が降りたとて、はて、どうしよう。という感じだ。診断が降りただけで何かが変わったわけではない。私は私のままで生きていくしかないわけで。とりあえずセカンドオピニオンが大切ということで認知行動療法とかもやってるとこに予約入れてみることにする。8月以降じゃないと初診受けれなくてガビーン!って感じだけど気長にいこう。そこはCAARS以外の検査方法とかもしてるみたいで,今回のことも踏まえた上で相談してみよう。という結果に落ち着いた。

 

だからまだ家族や恋人や会社の人に言うのは憚られるな。さすがに二つ目のところでも重度のADHDと出たらその診断を信じよう。そして恋人には言おう。家族は……心配するだろうからあんまり言えないな。会社の人はそういう色眼鏡で見られそうだから言いたくないな。

 

そんな感じの日でした。

明日早いから寝る。